Twitter Facebook はてブ Pocket LINE コピー. 全国ネットに加盟する親の会や居場所を通して寄せられた、不登校経験者の「不登校のその後」を含めたプロフィールをまとめています。親の会につながった親たちの背後には当然ですが、同じ数以上に子ども達が存在しています。その不登校をした子ども達はどの様な人生を作っているのでしょうか。それを知りたいと思い、プロフィールを集めてみました。, 小学校1年生の時から1日も学校に行かず家に過ごす。姉弟5人全員不登校の中、10才の時、家族でログハウスを作り始める。17才くらいの時から、働く母のかわりに弟妹の朝ごはんを作ったり、洗濯物をたたむなど家事にいそしむ。18才の現在は、地域の人に新聞配達をたのまれ、週1回配達している。地元の産業廃棄物処理場の裁判にも、地域の人と共に傍聴に行くなどしている。, 中一の夏から不登校。図書館に通い、料理をしたり、PCで絵を描いてみたり、のんびり過ごす。大人のゴスペルサークルを見学、誘われて中二の夏から本格的に参加、県外のワークショップ、大きなコンサートなど、楽しんでいた。中三の夏、学校から定時制高校の見学会に誘われ、受験を決意。マイペースマンツーマンの良心的な塾教師と出会い、英数のみ学習。中学教師指導の論文を受験前夜、あっぱれにも全部書き直し合格。定時制卒業後には洋楽つながりか英文科短大に進学。現在は広告代理店に勤務、不況の中、公私ともに奮闘中。, 不登校直後から居場所へ通う。中卒後、通信制高校から、大学へ進学。2008年3月卒業。現在、消防士。, 小1の2学期から中学卒業まで1日も登校せず、ホームエデュケーションで育つ。中学卒業後の進路としてクロンララスクールのホームベイスドエデュケーションプログラムに登録。4年間で卒業を目標に、現在3年目。同時にアルバイトとして新聞配達を始め現在も続けている。07年から居場所のプロジェクトでクッキーの販売を始めた。, 不登校前から居場所・フリースクールのイベントに参加していたので、自然にフリースクールに関わるようになった。中卒の2年後、通信制高校入学、りんごの木にも在籍。2浪して、大学進学。現在、体育学科4年生。, 小学4年から学校に行かなくなり、中学、高校をまったく通わずにすごす。14才の時、フリースペースへ通う。17才からコンビニでアルバイト。18才から千葉県子ども人権条約条例を実現する会、子どもと親のサポートセンター(教育委員会の出先機関)で働く。20才の時、不登校関係のNPOを設立。同副委員長。フリースペースでボランティアをしながらフリーター。24才、フリースクールの訪問スタッフを開始。25才、フリースクールの常勤スタッフ。, 小5~6、中2~3で不登校。定時制高校に進学したが1年で中退。その頃に母親が親の会に入会した。料理作りやお菓子作りが得意だったので「プロジェクトHAPPYHeart」でケーキの注文販売を始め、そのことがきっかけとなり、会の周年フェスに参加。そこへ参加していたレストラン経営者の夫人にホール係のアルバイトを勧められ、現在も継続中。昨年11月に高認取得。, 福島より転居にて茨城県へ。その後91年10月よりフリースクールへ。1998年3月退会。アルバイトや雑誌づくりを経験ののち、1999年からフリースクールの大学部の学生に。2005年在学中から出版社の立上げに参加。2008年3月、フリースクールの大学部修了。現在、出版社社員。, 1995年~2002年までフリースクールに所属。フリースクールに在籍しながら、1999年に高校に行き、翌年にその高校をやめる。2001年に大検を取り、2002年にフリースクールを退会。2002年の8月から12月まで、デンマークのフォルケホイスコーレに行った。2006年に別のフォルケホイスコーレに行っていた。2007年から2009年まで、NHKの携帯コンテンツの作成や、Webにアップするものの作成などをしていた。, 小学校4年生の3学期頃から中学卒業まで不登校をし、高校を通信制で3年通い、卒業し、その後4年間フリーターを経て自動車整備の専門学校へ入学し現在3年目になり、就職活動中でもあります。来春、学校を卒業し社会人になる予定。, 中卒後、家に2年程いて、その後パン屋でアルバイトを始める。約4年間アルバイトを続け、洋菓子店で見習い菓子職人として働き始める。現在、洋菓子職人。, 中学2年の春から不登校。その後約3年半ひきこもり。17才くらいから親の会に親と一緒に参加。夏に大検合格。親の会が母体となってフリースクールができる。そこに半年かかわる。18歳でフリースクールの大学部に入学、世界のオルタナティブ教育やスタッフの勉強をする。22才、フリースクールでのボランティアを経て全国ネットワークで働くようになる。その他バンド、テニス、フットサルをやったりの生活。, 不登校期間中は、アルバイトが長続きせず、教育機関にも関わろうとしなかった。19歳のとき、それまで子どもとして関わっていた新聞社のスタッフになり、現在に至る。, 高校へは行かず15歳からアルバイト。海外放浪。英検、運転免許、ホームヘルパー、大検など各種資格取得。いろいろなアルバイトや不登校関係の仕事を経験。24才で大学入学。育児をしながら、現在大学のネット学習で勉強中。, 中学卒業後、美術系のコースのある高校に進学したが、高3の時に退学。フリースクールに通いながら、残りの単位を通信制高校で取得。卒業後、簿記の専門学校に入学。2009年3月で卒業予定。, 高校2年の5月に学校を休み出す。幸いゆるやかな高校だったので、課題とレポートで勉強は続ける。11月に地元のフリースクールに参加し、高校生活は自宅と週1回居場所で過ごし、ぎりぎりで高校を卒業する。卒業後、文系の専門学校に9ヶ月通うが、中退。その後いろいろなバイトを転々とし、2年後夜間の短大へ入学し、卒業。その後は父親の友人の会社に就職が決まっていたが、社風が合わず退社。後はバイト、派遣を2年ほど転々とし、ようやく条件が合う事務派遣の仕事に就き、4年勤務したが、2009年1月に体調を崩し、3月に退社。現在療養中。なお地元の居場所にはずっと関わり続け、フリースクール化した際に、短大の勉強をするために、スクール生として入学。短大卒業後はフリースクールの母体のNPO法人のホームページの制作などのボランティアをしている。, 1988年、高2で不登校、中退、精神科に通院。何度か仕事をしたが、引きこもりがちな生活が続く。1993年ごろから親の会などに参加するようになって、不登校の子ども達の居場所の活動に興味を持つようになった。趣味の音楽を活かし、2005年より、フリースクールの音楽講座を担当。2008年までスタッフとして関わる。現在、体調を崩し療養中。, 2006年、高校に入学するが、1年で不登校、中退そして、2008年3月までフリースクールりんごの木に通う。2007年公立の単位制高校に入学、現在3年生で元気に通学している。, 1986年4月私立高校に入学したが、中学でも一度登校拒否をしたこともあり、自分自身不登校の整理ができていなかった。そのため教師や大人への不信感などもあり、通学の電車に乗れなくなり、家からも出ることが一時できなくなる。留年か退学かの選択で高校を退学。1987年4月親の勧めでフリースクールに入会。1989年フリースクール退会。1988年12月に俳優のマネージメント事務所にアルバイトとして入りその後契約社員になる。1990年7月退職。同年8月よりフリースクールのスタッフとして働き、現在に至る。. 不登校の7つのステージ. 今不登校の子供を抱えて不安と絶望、限界の淵に追いやられている人からすると、明るい未来はなかなか見えてこないかもしれません。, そして、その人たちは驚くほどアクティブで自分の力で自分の人生をしっかり切り開いています。, 今回取り上げるのは東京シューレという歴史のあるフリースクールが出版した書籍、「学校に行かなかった私たちのハローワーク」に掲載されている者です。, 詳しい内容は書籍に譲りますが、タイトルにある通り、ハローワークという、不登校経験のある人(東京シューレに通っていた人)がその後の仕事や就職という面にフォーカスした内容になっています。, この書籍には過去の不登校のきっかけ、当時の過ごし方や克服に関してはほとんど触れられていません。, むしろ、その後の高校生活~大学、就職といった自分の人生の軌跡を事細かに自分の言葉でしっかり描かれています。, 本の最初に掲載されている数人はちょっと引くほどのアクティブさ、積極性、行動力を兼ね備えた人たちでした。, 10代後半から世界中を旅してまわり、フランス留学はもとより、東京→富山→ウラジオストック→シベリア鉄道→パリ→欧州南部→チュニジア→サハラ砂漠という、飛行機を一切使わない壮大な旅を実現させた人までいましたw, その方はHISに就職して、営業成績をどんどん高めて20代後半で支店長という肩書まで上り詰め、高卒とか中卒とかそんなことは一切感じさせないほどのパワフルさです。, 他にも鉄道関連の仕事、大工、女子プロレスラー、新聞記者、保育士などなど、実に多彩な仕事に就いています。, よく不登校中に、高校は出ておかないと将来仕事が見つからないという話をよくすると思います。, これはある意味で事実ですが、この本に紹介されている内容では、中卒の学歴しかないのに高卒以上の条件だった仕事に就いている人も結構います。, それは学歴では測れない魅力や能力をしっかり身につけてきたことに加え、雇用主と雇用される側の思惑が一致した、タイミングがよかったなどいろんな要素があります。, 大抵の人は求人情報誌で「高卒以上」の文字を見てはすぐにあきらめる様な所を、玉砕覚悟で電話して面接までこぎつけ、正社員の座を勝ち取った例も結構あります。, だからといって高校に行く必要はない、なんて言いたいわけではなくて、不登校でもこんなに積極的に、自発的に自分の人生を生きている人がいるんだ、ということが大切です。, ここまで見てきたように、実に多彩で個性的に、自発的に自分の人生を生きている人がたくさんいます。, 本を読んでいて思ったのは、不登校経験の有無は成人後の人生において全く重要ではない、ということです。, 私も中学時代に不登校でしたが、十代後半~成人後は全くそんなことの影響は感じないし、すっかり忘れ去られた過去の出来事になっています。, 不登校の経験があろうがなかろうが、この世の中を生きる上では大した問題ではありません。, 不登校経験がある人でも積極的でパワフルな人もいるし、学校に通い続けてきても消極的で小さくまとまった人生を送る人も山ほどいます。, 不登校経験の有無だけで区別して比較するのは、もはや成人後は意味をなさないほど影響は小さいのかな、と思います。, 正直、自分の生き方を反省しました。もっとやりたいことを貪欲に、もっと積極的に生きなければいけない、と。, 人間の成長と人生における変化は、行動の積み重ねと継続によってもたらされる、とは私の教訓です。, 今は生活が特に変わり映えせず、仕事にも慣れて、変化を好まず小さくまとまった人生になりかけていました。, そうではなくて、もっと積極的に生きよう、もっといろんなことを行動しよう、という何か人生の基本中の基本を思い出した気がします。, 子供の心の中にある、このままではいけない、もっと人生を変えたいという心の芯さえ折れていなければ、子供は勝手に育っていきます。, ここで紹介した本にある内容のように、自分を信じて行動を積み重ねて努力していればきちんと道は開かれます。, そのための心身のエネルギーを親がサポートしてしっかり蓄えて、不安を少しずつ取り除いて行ってほしいと思います。, 自分の人生を切り開くには自分自身ですから、結局は自分の望む将来を得られるかどうかは全て自分の努力次第ということです。. 「不登校の子どものその後の進路が見えない」

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