これは死体にまだ魂が残っているためだと考え 元少年Aは、法的には罪を償って社会で普通の生活していることになる。たとえ凶悪な犯罪を犯した過去があったとしても、自宅マンションや本名の暴露は許されるものではない。それをしてしまうと、まさに「私刑」(リンチ)となるからだ。, ・大きな問題を残した「未解決事件」 自分の部屋の天井裏に隠した 「新たに手紙を書けば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、僕自身、警察の筆跡鑑定を甘く見ていた。『あれで捕まるんやないか、失敗したなぁ』と思ったが、どうしようもなかった」と逮捕後供述 右手で首を切っていく 酒鬼薔薇聖斗事件の犯人の現在の画像が公開されました。 Copyright©バズプラスニュース, All Rights Reserved. 酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年が引き起こした神戸児童連続殺傷事件、少年は事件後少年aと呼ばれ、矯正プログラムを受けた後社会復帰しています。今回は少年aの事件後、母親や父親などの家族、結婚して嫁がいるとの噂、本名や顔、現在の住所まで明らかになっている事をまとめます。, 1997年5月、酒鬼薔薇聖斗と名乗る犯行声明文とともに、当時小学五年生だった土師(はせ)淳君の遺体の一部が発見され、社会を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」が発生しました。, 事件の犯人はなんと当時14歳の地元の中学に通っていた少年でした。猟奇的で残忍な犯行であるにも関わらず、未成年であるとして本名は公表されず、後に「少年a」と呼ばれる事になります。, まずはこの「少年a」が引き起こした「神戸連続児童殺傷事件」の大まかな概要から見ていきましょう。, 「神戸連続児童殺傷事件」は1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生し、2月から5月の間に小学生2名が殺害され、3名が重軽傷を負わされています。, 2月に小学生女児が何者かに殴られる事件、3月に女児が殺害される事件が立て続けに発生、通り魔事件として全国区でニュースとなりますが、この時はまだ犯人が14歳の少年だと考えている人は誰もいませんでした。, そして、5月に入り第三の事件が発生、当時小学5年生だった土師(はせ)淳君の遺体の一部が神戸市立友が丘中学校の校門の前に遺棄されているのが発見され、そのあまりに猟奇的な事件に日本中に衝撃が走ります。, さらに、この時中学校校門前に遺棄されていた遺体には、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る何者かの犯行声明文が一緒に置かれており、その猟奇的で警察を挑発するような文面も公開され連日マスコミが事件を取り上げます。, 各テレビメディアには度々犯罪の専門家などが登場し、この異常な犯行の犯人の人物像を「30代から40代の体格の良い男性」ではないか?との推察をしています。, 誰もが、強い異常性を持つ成人男性を犯人像として思い描いていましたが、驚くべき事に実際に逮捕された犯人は地元の中学校に通うごく普通の14歳の少年でした。, この衝撃の事実に、社会は一時パニックのような状態になり理解しがたい事実に浮き足立ちました。この少年は一体どのような人間なのか?という事に報道の焦点は移っていきます。, この「少年a」と呼ばれた酒鬼薔薇聖斗の犯行以降、10代の少年少女の凶悪犯罪が目に見えて増え、酒鬼薔薇聖斗を崇拝して犯罪を犯す少年少女まで現れています。これが少年法が改正されるきっかけにもなりました。, 続いては、酒鬼薔薇聖斗こと「少年a」が引き起こした神戸児童連続殺傷事件の経緯について、当時の事件報道の流れ、少年a逮捕後の真相の発覚を順に追いながら、さらに詳しく見ていきましょう。, 1997年5月27日に、神戸市須磨区にある神戸市立友が丘中学校正門前の路上に、何者かに切断されたと見られる小学生男児の頭部が遺棄されているのを、通行人が発見して警察に通報します。, この時、男児の頭部は登校してくる生徒たちを迎えるかのように、校舎側の反対方向を向いてまっすぐに立てるように置かれていたのだそうです。そして、その口には犯行声明文が挟まれていました。, 置かれていた頭部は、三日前の5月24日から行方不明になり、須磨警察署に捜索願が提出されていた地元の小学校へ通う5年生土師(はせ)淳君11歳のものである事が判明します。, 土師淳君の遺体の頭部に挟まれていた犯行声明文には、「ゲームの始まり」「愚鈍な警察諸君」「ボクは殺しが愉快でたまらない」といった挑発的な内容が書かれていました。, さらに文面の後半には、「汚い野菜共には死の制裁を」「積年の大怨に流血の裁きを」といった、社会に対する恨みを持っている様な内容が書かれています。, 最後には意味不明なマークの横に「SHOOLLKILL」という意味をなさないアルファベット列、その下に「学校殺死の酒鬼薔薇」と書かれており、当初これは何かの暗号ではないか?と推察されていました。, 猟奇的な犯行に、意味不明な文字列を含む不気味な犯行声明文に各メディアは連日ニュースとして取り上げる中、6月4日、犯人からと見られる第二の声明文が神戸新聞社宛に郵送されてきます。, その声明文は便箋にびっしりと赤い字で書かれ、報道が「酒鬼薔薇」を「おにばら」と読み間違えた事に対する不満に始まり、さらに警察を挑発し煽り立て、さらなる犯行を企てている事を匂わせる内容となっていました。, これを受けて、さらに各メディアの報道はさらなる過熱を見せ、社会全体は不安と好奇心が混ざり合った様な奇妙な雰囲気に包まれ、どこも酒鬼薔薇聖斗事件の話題で持ちきりとなっていました。, 事件発生から1ヶ月以上が経っても未だ犯人は逮捕されず、連日の報道が続いていた1997年6月28日、「神戸児童連続殺傷事件」の犯人がついに逮捕されたとのニュースが飛び込んできます。, そして、逮捕された人物はそれまでに犯人像として推察され報道されていた内容とはかけ離れた、地元の中学に通う3年生で14歳の少年だったのです。この衝撃の展開に再び社会は騒然とする事になりました。, ここからは、逮捕後の少年aの供述から明らかになった事件の真相を順番に追っていきます。少年aは1997年2月10日、午後4時頃に神戸市須磨区の路上で小学生女児2名をショックレスハンマーで殴っています。, この時一人が重傷を負います。被害者の父親は女児の証言から犯人がブレザーの制服姿、学生鞄を持っていたとして、近隣の中学校に生徒全員の写真を見せる様に要望しますが拒否されています。, これは後に、この時に通り魔事件の犯人として酒鬼薔薇聖斗こと少年aが捕まっていれば、後の凄惨な事件が防げた可能性があるとして、学校側の対応が批判されるきっかけとなりました。, 上記の通り魔事件から約ひと月後の1997年3月16日午後0時25分頃、少年aは神戸市須磨区竜が丘の公園にいた小学4年生の女児に「手を洗える場所はないか」と声をかけ学校まで案内させています。, その後、「お礼を言いたいのでこちらを向いて」といい、振り向いた女児の頭部を金槌で殴りつけて現場から逃走しています。女児は病院に運ばれますが、3月23日脳挫傷によって亡くなっています。, 女児を殴りつけたわずか10分後には、別の小学3年生女児をナイフですれ違いざまに突然刺し全治2週間の怪我を負わせています。この女児もあとわずか傷が深ければ死亡していたとされています。, そして、1997年5月24日、少年aは人を殺害したいという気持ちが抑えきれなくなり、殺害する対象を探すために昼過ぎに自転車にのって家を出ます。, しばらく自転車で殺害する対象を探し回っていた少年aは、学校近くの歩道上を歩いてくる顔見知りだった小学生男子土師淳君を発見します。, 少年aは土師淳君ならば自分よりも小さいので殺害できると考え、淳君が亀好きだと知っていた事を利用し、「向こうの山に亀がいた見に行こう」と殺害現場の高台に誘い出し、首を絞めて殺害しています。, ここからは、神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗こと元少年aとは一体何者だったのか、本名や性格、顔など、現在までわかっているその人物像についてもまとめていきます。, 酒鬼薔薇聖斗こと少年aの顔写真は事件後に一部週刊誌が公表しており、その本名は東真一郎であると言われています。ただし、事件後、法務関係者と養子縁組し名前を変えて生活しているとされています。, 少年aは2004年に医療少年院を退院しましたが、週刊女性セブンによると、退院の後に特例により改姓改名して本名を変え、本名のイニシャルは「K.M」であるという事でした。, また、少年aは一時期、本名を「西岡真」にして生活していたとの情報もあり、事件以降何度か本名を変えている可能性が高いと思われます。現在はどの様な本名で生活しているのかは不明です。, 少年aが通っていた友が丘中学校の当時の校長岩田信義氏によれば、少年aは他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで突然人の頭を叩く、他の生徒の自転車のタイヤをナイフで切り刻むといった行動があったそうです。, また、岩田元校長は、少年aが中学に上がる際に小学校側から少年aの異常な行動として、以前、ナイフを大量に突き立てた不気味な粘土細工を作成していた事があるとの報告を受けたとも証言しています。, さらに、当時の担任教師の話によれば少年aは表情があまり動かず、教師から注意を受けてもほとんど目を合わせず、心はいつも上の空の様で、何を言っても言葉は届かないという印象であったとされます。, 酒鬼薔薇聖斗は事件を起こす前から、かなり異常な印象を受ける不気味な絵を描いています。まるで化け物の様な絵ですが、女性の顔をモデルにした印象の絵が多く、一部の絵は母親を抽象化したものだと言われています。, 酒鬼薔薇聖斗は、性癖においてもかなり異常なものを持っています。小学校5年生の時、カエルの解剖をした時に性的な興奮を覚えたそうです。中学に上がると人を殺してその臓物を食べるのを想像して興奮したのだとか。, 土師淳君を殺害した際にもこれまで経験した事がないほどの満足感を得たと供述しています。淳君の頭部を家に持ち帰り、それを風呂場で洗っている時にも性的な興奮を得て射精したとも後に書いています。, 続いては、酒鬼薔薇聖斗の父親や母親などの家族についてもまとめます。一部の専門家からは少年が異常化した原因は父親が多忙であった事や母親の愛情不足だった事など家族にも原因があったのではと指摘されています。, また、母親の事件当時や事件後の行動などから、ネット上では酒鬼薔薇聖斗の母親が少しおかしいのではないか?との批判的な声も上がっている様です。, 酒鬼薔薇聖斗の父親は、非常に仕事が多忙であったと言われています。さらにこの父親は酒鬼薔薇聖斗には普段から無関心で、たまの休日もゴルフへ行ってしまい、ほとんど関わらなかったと言います。, 酒鬼薔薇聖斗が隠し持っていたナイフを発見した時も、猫などの動物虐待が発覚した際にも父親は一切注意などはしなかったと言われます。にも関わらず、時に理不尽に感情的になって激昂する事もあったとされます。, また、この父親は酒鬼薔薇聖斗に対して理不尽なところがあったとされ、兄弟喧嘩をすれば兄である酒鬼薔薇聖斗だけを一方的に叱りつけ、時には暴力を振るう事もあったと言われています。, 父親は酒鬼薔薇聖斗にとって非常に理不尽な存在であったとされますが、母親はどうだったのでしょうか?母親は無関心ということはありませんでしたが、反面、かなり厳しくしつけを行なっていたと言われます。, 世間で恥を掻く事が無いようにと、幼い酒鬼薔薇聖斗にトイレや食事のマナーなどを厳しくしつけたとされます。さらに、この母親には酒鬼薔薇聖斗がノイローゼになるほどの過干渉なところもあったと言われます。, 一方で動物虐待に対しては一切注意をせず、事件後も酒鬼薔薇に冤罪の可能性はないの?と聞くなど少し常識と外れた言動も目立ちます。ネットでは、この母親が原因でおかしくなったのでは?との意見もあります。, 事件が発覚し、逮捕された後の酒鬼薔薇聖斗についてもまとめていきます。現在は社会復帰を果たしている酒鬼薔薇聖斗ですが、事件後、しばらく医療少年院主導での疑似家族を形成しての矯正プログラムが組まれました。, 逮捕から約3ヶ月が経った1997年10月13日、精神鑑定などの結果を受けて、神戸家庭裁判所は酒鬼薔薇聖斗の医療少年院装置が相当であるとの判断を下します。, この決定によって心身に著しい障害がある物を収容する施設である、関東医療少年院へと移送されています。少年aは犯罪者ではなく病人として扱われています。, 精神鑑定にて、家族の愛情不足が原因と診断されていた酒鬼薔薇聖斗はこの施設にて、主治医を父親、女医を母親に見立てた疑似家族を形成しての矯正プログラムを受けています。, 1999年、第二の事件で酒鬼薔薇聖斗が金槌で殴り死亡させた小学四年生女児の遺族との間に、約8000万円の慰謝料を支払うという事での示談が成立しています。, 2001年11月27日、医療少年院での治療が順調との判断が下され、東北中等少年院へと移送されます。こちらは心身に著しい障害がない者を収容する施設です。, しかし、ここで少年aは奇行を繰り返し、他の収容者たちからのイジメにあうなど度々騒動を起こしています。院生の一人がたまたま書類に記載されていた少年aの名前が偽名である事に気づきます。, これがきっかけとなって神戸児童連続殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗である事が発覚、いじめが過激化し少年aの方もカッターナイフを振り回し奇声をあげるなどの奇行を繰り返すようになります。, この奇行騒動の後、神戸家裁は少年院収容継続を決定しています。その後、2004年3月10日に少年の仮退院が決定しています。, この決定は被害者の家族にも法務省を通じての連絡が行きますが、わずか半年で矯正が完了したというのか?と疑問と批判の声が上がります。, さらに、2005年1月1日には本退院が認可されます。この時点で少年aは未だ完全に矯正されておらずまた何か問題行動を起こす可能性があると法務省は認識していたとの噂があります。, にも関わらず、少年の退院が決定した理由として、国の威信をかけた矯正プログラムの成功を示したかった為、携わった人間の面子を保つ為、一刻も早くこの異常な少年を手放したかった為など様々な噂が上がっています。, 家族の愛情不足が凶行の原因ともされた酒鬼薔薇聖斗でしたが、社会復帰を果たした現在、結婚して嫁がいるとも噂されています。その嫁は酒鬼薔薇聖斗を神格化したファンクラブの女性とも言われます。, また、結婚した嫁とはどこに住んでいるのかも注目を集め、住所などの割り出しもネット民の間で行われ、一時住所が発覚する事態にもなっています。酒鬼薔薇の結婚した嫁や住所についても見ていきましょう。, 現在、結婚して嫁がいると噂れる酒鬼薔薇聖斗ですが、異常な殺人鬼とも言われるこの少年aと結婚した嫁とはどんな女性なのでしょうか?噂ではこの結婚した嫁は酒鬼薔薇の信者であったと言われています。, 当時、酒鬼薔薇聖斗の前代未聞の犯行は一部の人々の間でカリスマ化され、ファンクラブのようなものまで作られたとされます。その中の酒鬼薔薇の熱烈なファンの一人が現在結婚した嫁であると噂されているのです。, もちろんこの結婚の噂自体が信ぴょう性の低いものであり、嫁の顔写真なども出てきていません、ただし少なくとも一時期同年代女性との同性関係があったとの関係者からの証言は実在するようです。. 「神戸連続児童殺傷事件」の犯人として、社会を震撼させた酒鬼薔薇聖斗。その酒鬼薔薇聖斗は現在どのような生活を送っているのでしょうか。酒鬼薔薇聖斗の現在や結婚、またその本名が気になるところです。本名を変えて現在は事件を忘れ結婚して世の中に紛れているのか調査しました, 平成の時代が終わろうとしている現在ですが、その平成の中でも忘れられない事件があります。それは「神戸連続児童殺傷事件」という事件で、現在においてもこの事件のことを覚えている人は多いのではないでしょうか。, この事件を起こした酒鬼薔薇聖斗は現在どのような生活を送っているのでしょうか。実はこの酒鬼薔薇聖斗は現在は本名を変えて、結婚して子供も居ると言われています。自らが起こした事件の被害者からすると非常に複雑な現在だといえます。, そんな酒鬼薔薇聖斗の現在や本名、また結婚した嫁の存在や子供について紹介します。現在の酒鬼薔薇聖斗の顔画像や嫁や子供の顔は発覚しているのでしょうか。結婚して本名を変えたとはいえ、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件は決して消えることのない大きな衝撃だったといえます。, 神戸連続児童殺傷事件は1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生した当時14歳だった中学生による連続殺傷事件です。この事件は少年が名乗った名前から別名として「酒鬼薔薇事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」という名前でも呼ばれています。, こちらの画像は現在の酒鬼薔薇聖斗と思わしき人物の画像です。現在は一般の人と同じように日常生活に溶け込んでいることが画像から伝わってきますが、彼が起こした事件は今後も消えることのない日本史上稀に見る凶悪少年犯罪でした。, 当時から事件を起こした酒鬼薔薇聖斗の本名や顔画像に関する情報が錯綜しており、各週刊誌がスクープとしてその本名や顔画像を掲載しようと取材を続けたようです。そのため、当時以上に現在ではその本名や顔画像を確認することは容易になっています。, 酒鬼薔薇聖斗が起こした事件に関しては、逮捕されてその後に本人が出版した著書の名義から「少年Aと」表記されることも多く、事件を起こした当時も顔や本名に関しても報道の可否が議論されました。, 事件の概要とsちえは、数カ月に渡って複数の少年が被害を受けることになり、2名が死亡しており、3名が重軽傷を負うという結果になっています。問題だったのはその被害はもちろんですが、酒鬼薔薇聖斗が起こした事件の手口であり、事件に関する声明文や被害者の頭部を中学校の正門に置くなど、センセーショナルな事件として報じられました。, また、酒鬼薔薇聖斗本人だけでなく、その父親や母親を中心とした家族、そして被害者家族に関する情報までが記事になるなど、個人情報の扱いに関しては未成熟な時代だった故に加熱する報道が大きな問題を呼びました。, いわば「劇場型犯罪」と言われるような、マスコミなどに対してもあえて自分の存在をアピールするような行為が続いた事件であり、ワイドショーはもちろん、一般の人の間でもその声明文を解読しようとする動きがあるなど、模倣犯を引き起こすことに繋がる危険性もあった事件でした。, まず1997年2月10日午後4時頃に、神戸市須磨区の路上で小学生の女の子2人が、ゴムのショックレスハンマーで殴られ1人が重症を負いました。犯人がブレザーを着用し、学生カバンを所持していたという情報があり、女児の父親は近隣の中学校に対し犯人が分かるかもしれないからと生徒の写真を見せてほしいと要望しています。, しかし、学校側はあくまで警察を通してほしいと拒否しており、父親は兵庫県警に被害届を出して生徒写真の閲覧を再度要求しました。しかし、結果的には写真は開示されることはありませんでした。, このことは、後の事件が起きてから、警察や学校側が何らかの対応をしていれば、次の事件たちを防ぐことは出来たのでは?という批判に繋がっています。また、そもそも犯人をかばうような行為になっていたのでは?という指摘も多いようです。ただし、事件に関しては被害者家族の要望もあり、当初は非公開になっていました。, 同年3月16日午後0時25分、神戸市須磨区竜が台の公園で、付近に居た小学4年生の女の子に手を洗える場所を尋ね、学校に案内させた後にお礼を言いたいからという理由で振り向かせたところを、金槌の一種である八角玄能で殴りつけて逃走する事件が起きました。, 殴られた女の子は病院に運ばれたものの、3月23日に脳挫傷で死亡しています。また、午後0時35分ごろに、別の小学3年生の女の子の腹部を、刃渡り13センチの小刀で刺して2週間の怪我を負う事件も発生しました。, 刺された女の子は、ナイフの刃先が胃を貫通しており、背中の静脈の一歩手前で止まっていたそうです。静脈に刃先が達していた場合は、助かる可能性は低かったと言われています。手術の際は1.8リットルの輸血も行われており、奇跡的に女の子は助かったといえるでしょう。, 酒鬼薔薇聖斗は、はっきりと人を殺したいという欲求にかられるようになり、殺すのに適当な人間を探すために、昼過ぎから自転車に乗って家を出たそうです。, 10分ほど町内を自転車でブラブラと回った酒鬼薔薇聖斗は、その後に、多井畑小学校の近くの道で反対側から歩いてくる男の子を見つけたそうです。この男の子は同地区に済む放射線科医師の小学5年生で11歳の次男でした。男の子は祖父の家に行くために自宅を出て歩いていたときだったようです。, 実は酒鬼薔薇聖斗はやんわりとこの男の子のことを知っていたそうで、多井畑小学校の5年生のころに、同じ小学校の中にある身体障害者のための「なかよし学級」にその男の子がいたことを覚えていたそうです。, また、酒鬼薔薇聖斗の家に遊びに来ていたこともあり、これは一番下の弟が同級生だったからでした。男の子が家に居た亀に興味を示していたことを知っており、この事件のときに男の子を見つけたときにそういったことを一気に思い出したそうです。, 酒鬼薔薇聖斗は男の子に近づいて、近くの山に亀が居たから一緒に見ようと誘っており、山頂の手前にあるケーブルアンテナ施設の入口付近まで連れていき、その場で絞殺して遺体を隠したようです。この絞殺も酒鬼薔薇聖斗自身が、首を絞めて殺したいという自らの願望が反映されたものでした。, この事件においては、酒鬼薔薇聖斗の事件に対する用意周到さが現在でも注目されることがあります。というのも、酒鬼薔薇聖斗は指紋がつくことを恐れており、手袋をはめて、一気に首をしめており最終的には馬乗りになるような形で締め付けています。, しかし、酒鬼薔薇聖斗も子供であったことから絞殺し切れておらず、そばにあった石で殴ろうとしたり、ナイフで殺そうとしています。しかし、ナイフは持ってくるのを忘れており、岩は取れなかったため、靴で顔などを殴りながら、靴紐を解いてそれを使って絞殺しています。, その後の酒鬼薔薇聖斗の供述から、なかなか男の子が死ななかったことに対するいらだちと同時に、自らが人を殺そうとすることに対する高揚感などがあったことを説明しています。絞殺後は一種の満足感のようなものがあったそうで、その前に起こした2つの事件とは違った達成感があったようです。, 酒鬼薔薇聖斗は殺害した男の子の死体を近くのアンテナ施設の近くに隠しています。なお、アンテナ施設がある施設に入るために南京錠を破壊しており、新しい南京錠を買いに行くなど、事件の隠匿に関する行動もとても少年事件の範疇を越えたものになっています。, ただし、このときに南京錠とともに金ノコ(当初は糸ノコギリと供述)を万引きして手に入れています。これは金銭的な問題と同時に、レジで顔を覚えられることを避けるためでした。, 驚きなのは、酒鬼薔薇聖斗は事件後に友人とビデオショップで待ち合わせをしていたことから、友人との待ち合わせ場所に合流しており、約2時間ほど遊んで自宅に帰っています。, 自宅に帰ると酒鬼薔薇聖斗は、母親から男の子が居なくなっていることを伝えられているものの、素知らぬ顔をしていたそうです。その日の寝るときに、南京錠を破壊するために使った糸ノコギリを使って、今度は人の首を切りたいという衝動にかられており、過去に何度も猫などの動物を殺していた経験から、翌日に殺害した男の子の首を切断する計画を練っていたそうです。, 男の子に関しては、事件当日の午後8時50分に家族から須磨警察署に捜索願が提出されました。そして、翌日になると、酒鬼薔薇聖斗は男の子の首を切断するため、家を昨日と同じように出ています。, 遺体を遺棄した現場にたどり着くと、糸ノコギリで男の子の首を切断しており、そのことにはまったく抵抗がなかったそうです。その後、切断した首と押し問答のようなものを繰り広げたそうで、その首をビニール袋に入れて、兵庫県立北須磨高等学校へ向かっています。, 酒鬼薔薇聖斗の供述によれば道中に機動隊員と思われる人物に声をかけられているものの、疑われることは無かったようで、危ないから早く帰るように言われただけだったようです。そして、入角ノ池という池の近くの穴に首を隠し、切断に使った道具は池に投げ捨てています。, 翌日、警察は男の子の行方不明事件として午前11時40分に須磨警察署が公開捜査を開始しています。警察やPTAなど150名が捜索にあたっていますが、この間に酒鬼薔薇聖斗は首を家に持ち帰っており、遺体がどうせ発見されるならと、頭部をあえて人目につくところに置くことを考えました。, そして、自らが通っていた神戸市立友が丘中学校に通うことで、警察から自分が捜査対象になることを逃れようと画策します。また、学校に首を置こうと考えたのは、学校に責任をなすりつけて、こんな自分が出来たのは学校教育のせいだという恨みがあったと言われています。, 5月27日の午前1時頃から午前3時頃までの間に、酒鬼薔薇聖斗は中学校の校門前に頭部を遺棄しています。そして、男の子の口に自らが書いた手紙をくわえさせています。, すぐにはその場を離れておらず、5分ほど首が置かれている校門の風景を眺めてから帰宅しています。朝になると事件は大きくニュースになっており、隠していた遺体も発見されていました。また、テレビ朝日の特別報道番組でジャーナリストの黒田清が手紙に書かれた「酒鬼薔薇聖斗」を「サカキバラセイト」という人名として解釈し、一気に各社が人名として扱うようになりました。, 現在も事件当時に酒鬼薔薇聖斗が未成年であったことから、現在も本名ではなく酒鬼薔薇聖斗として少年の名前が報道されており、多くの人がその強烈な名前を印象付けられることになります。, テレビでは、犯人像を30代から40代の男性と報道したり、まったく見当違いな推理が進んでいたりしたことに、酒鬼薔薇聖斗は喜びを感じていたと言われています。そのことが、酒鬼薔薇聖斗が「神戸新聞社宛の手紙」を書くことにつながりました。, この印象的な手紙は現在でも少年犯罪が起きるたびに取り上げられており、現在見ても不気味な手紙といえます。自分の本名ではなく酒鬼薔薇聖斗という名前の読み方に対する訂正などを行っており、警察関係者らは、その内容から手紙が犯人が書いたものであることを確信したと言われています。, 後の取り調べなどから、このときの酒鬼薔薇聖斗は自分が調子づいてしまっていたと振り返っており、筆跡やその文章に引用された本などから、警察は次第に酒鬼薔薇聖斗が誰なのかに気づき始めていたそうです。, しかし、少年が犯罪を起こしている可能性の中で、その逮捕に踏み切るのは大きな決断が必要だったようです。マスコミは別の「黒い袋の男」と言われる人物をずっと探しており、30代くらいの男性を追いかけていたと言われています。そのため、酒鬼薔薇聖斗が逮捕された際には冤罪説が出ており、現在でも冤罪を疑う人が居るほどです。, 酒鬼薔薇聖斗は6月28日に、朝から任意同行を求められ、犯行を自供しています。これは当初は否認していたものの、取調官が犯行声明文のコピーを見せながら、その筆跡などに関する一致を指摘しており、声をあげて泣き出しながら犯行を自供したとなっています。, 実は、このとき警察は筆跡が一致しているという裏取りなどはまだ終わっておらず、決定的な証拠が無かったそうです。酒鬼薔薇聖斗は、男の子を殺害したこと以外の事件も認めており、ニュースはこれらの事件が一人の少年が起こしたものとして大々的に報道することになります。, 酒鬼薔薇聖斗に対する精神鑑定などが行われており、ADHDという診断を受けています。完全な責任能力はあるものの、反社会性パーソナリティ障害に相当する行為障害と思われるものが見えられており、更生するためには長期間の医療的処置が必要として、医療少年院への送致がふさわしい処遇という形になっています。, 1997年10月13日に酒鬼薔薇聖斗は神戸家庭裁判所で医療少年院への送致が決定され、関東医療少年院にうつされています。その後は、第二の事件に対して8000万円の慰謝料を支払うことも決定しています。, 2001年11月27日に治療が順調であることから酒鬼薔薇聖斗は東北少年院に移されています。しかし、2002年には治療は順調であるものの、なお綿密な教育が必要として収容を継続されることが決定しています。, 2004年3月10日に成人した酒鬼薔薇聖斗は少年院を仮退院しています。このことは、法務省を通じて被害者の家族に連絡が行われており、2005年1月1日に本退院が許可されました。, そして、2005年5月24日に被害者少年の八周忌に、酒鬼薔薇聖斗が弁護士を通じて、遺族への献花を申し出たものの遺族は申し出を断っています。, 2007年3月似、第二の事件に対して初めての謝罪の手紙が届けられています。しかし、遺族はその姿勢や賠償についての責任などへの意志が感じられないと疑問を投げかけたと言われています。慰謝料は酒鬼薔薇聖斗の両親が出版した本の印税の他、1ヶ月1回酒鬼薔薇聖斗から4000円、両親から8000円が支払われている報道が行われています。, 酒鬼薔薇聖斗は2004年に行われた法務省幹部への取材などから、出所後はある団地で生活していたことが発覚しています。そこでは、法務省関係者と同居し、一緒に炊事や買い物を行う社会勉強が行われていたそうです。, そして、少年院で取得した溶接の資格を生かして、工場で働くなど真面目な生活をしていたようです。そこでは本名とは違う名前で勤務していたと言われており、本来の本名をバレないようにしていたようです。また、母親とも定期的に会うこともあったと言われています。, どうやら酒鬼薔薇聖斗は、別の身元引受人と養子縁組をしており、そこで本名を変更し、出生地や学歴などの偽のプロフィールを用意したそうです。本名を隠せば分からないとはいえ、周りはまったくその正体には気づかなかったそうです。, 子供のときに起こした事件とはいえ、犯罪者予防更生法では、1週間以上の旅行は許可が必要という制約などはあるものの、飲酒もできて、好きなゲームをプレイするなど基本的には自由な生活を送れていたそうです。, これに対して、事件で亡くなった被害者は、被害者家族にとって子供のときのまま時間が止まっており、子供のときに起こした事件とはまったく無関係に近い生活を送っていることは、受け入れ難い出来事だったかもしれません。, また、事件に関してたくさんの顔写真などが出回っていたものの、出所後の酒鬼薔薇聖斗は少年院の中で身体を鍛えていたことから、非常にたくましい身体に育っていたと言われています。このことから本名を変更したこともあり、昔の顔写真程度では、周りも気づかない状態だったようです。, 犯罪者予防更生法の適用期間も過ぎると、同居人も必要ではなくなり、完全なフリー状態になれるということも驚きですよね。酒鬼薔薇聖斗の場合は2004年末でそういった状態になったと言われています。, 法務省は様々な意見を汲み取って、酒鬼薔薇聖斗に関する居住地や勤務先に浮いて偽情報を流していたという噂もあります。そのため、酒鬼薔薇聖斗の新しい本名や結婚して嫁が居るなどの情報、また東京や埼玉に居るなど様々な情報が飛び交うようになりました。, そのため、酒鬼薔薇聖斗は現在は地元神戸に戻って、嫁と生活しながら子供と一緒に居るのでは?と疑心暗鬼になる人たちも居たそうです。また、事件後に家族は親戚のもとに身を寄せており、離婚して本名を帰るなど、弟二人は別の土地で暮らす生活だったそうです。, 現在もこの事件自体がたびたび話題になることも多く、同時にプライバシーに関する問題も議論になっています。事件当時は、未成年だった酒鬼薔薇聖斗に関する本名や顔が分かる画像などが週刊誌に掲載されるなど、その報道あり方も大きな問題となりました。, 本名や顔写真だけでなく、酒鬼薔薇聖斗の犯行記録ノートや、神戸市教育委員会の指導要録など、本来なら外部に流出しないものまで資料として掲載されており、ワイドショーでは酒鬼薔薇聖斗の自宅が映された際に、表札が見えたことから本名が完全にバレる問題も起きています。, また、結婚していた両親に関する問題点も指摘されるようになり、両親たちや残された弟たちは顔をバレないように生活する必要があったようです。結婚生活に関する問いかけや子育てに対する指摘など、事件後の残された家族は精神的にかなり憔悴しきった状態が続いたと言われています。, 現在の少年法に関する変更にも大きく関係しており、当時と現在では少年犯罪に関する法律の仕組みも大きく変わっています。現在は成人年齢に対する変更も決定しており、2022年には18歳が成人扱いになる予定です。, 結婚に関する仕組みなども変わる事が決まっており、男女ともに結婚が18歳という形に変更になるのも注目点です。この決定に絡んで、現在も多くの制度が変更されていく可能性もあり、少年犯罪に対する報道の仕組みも変わっていく可能性がありそうです。, 酒鬼薔薇聖斗は出所後に結婚して子供が居ることを自らの著書「絶歌」に記しています。この結婚に関しては、本の中で被害者遺族に結婚式の招待状を送ったということから、結婚して嫁がいることが分かるわけです。いきなり出所して結婚をすることになりましたと言われても、被害者遺族からすれば受け入れられるものではないですよね。.

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